もう一つの五稜郭が龍岡城五稜郭が長野県佐久市にありました。
五稜郭といえば函館五稜郭。戊辰戦争で土方歳三が散ったあの五稜郭です。五稜郭とは函館を思い浮かぶ人は多いでしょう。
しかし日本にはもう一つの五稜郭がありました。この五稜郭を知っている人は少ないと思います。そのもう一つの五稜郭 龍岡城五稜郭に行ってきました。そこは戊辰戦争のような壮絶な戦いはありませんが、それでも歴史ある五稜郭でした。
龍岡城五稜郭があるのは長野県佐久市。新幹線の駅が佐久平にできて東京へも通勤可能な場所となり駅を中心に開発が進んでいる佐久市です。その佐久市の臼田にあるの龍岡城五稜郭です。
龍岡城五稜郭の歴史
龍岡城五稜郭は慶応3年(1867年)の田野口藩主によって作られました。函館五稜郭とともに日本に2つしかない5つの稜が突き出たひし形の洋式城郭です。
1864年に着工し3年の年月をかけて1867年に完成しています。藩主の政務と住居を兼ねた御殿や大手門、通用門などが五稜郭の中にできました。
江戸時代が終わり明治に入ると、五稜郭の中に近くのお寺の中にあった子どもたちの学校が移転したそうです。その後田口小学校が五稜郭の中にできています。その名残でいまも、校舎やグラウンド、鶏でも飼っていたのでしょうか、鳥舎が残っています。
龍岡城五稜郭のすぐとなりにあるであいの館で資料等が展示されています。

田口小学校の校舎です。今は閉校になっています。

五稜郭の外側にあるお堀です。全部にではなく3方面にしかありません。

この五稜郭を作った大給恒です。
龍岡城五稜郭の全体が見れる展望台に行ってきました。
五稜郭内を散策したあとに、展望台に登りました。であいの館から民家の横を抜けて山を登っていきます。出会いの館から展望台まで40分ほどです。
展望台への道は急登もある道なのでスニーカーは履いていったほうがいいと思います。
途中お墓の横を通ります。
途中には展望台まで○○○mと標識が出ているのわかりやすいです。でも結構な運動になるので行くときはその気で登ってください。

このような標識がいくつも出てきます。

覚えてね

ここまでくるともう少しです。

展望台から見た龍岡城五稜郭です。星型になっているのがわかります。

展望台はこの様になっています。
まとめ
いままで五稜郭と言えば函館五稜郭。日本に一つと思っていましたが長野県佐久市にもう一つのっ五稜郭があることを知りました。函館五稜郭のように戦争を戦ったわけではありませんが、学校を通じて教育の場として近年まで使われてました。
また展望台へは結構な運動にもなりました。展望台に着いたときに見える龍岡五稜郭の星型の全貌は来てよかったと思えました。
是非一度龍岡五稜郭を見に来てください。